Interview|中途社員インタビュー

髙木工業所では、製造職を中心に
社員募集を行っています。
現場社員が入社して
感じたことや生活の変化など、
リアルな声をご紹介します。

40代で大手企業から転職。
のびのびとした社風に驚いた。

野球引退とともに、大手企業を退職。

以前は大手自動車メーカーの物流部門で18年間勤務しており、主に部品を現場に供給する業務を担当していました。その会社を選んだのは、社内に「野球チーム」があったから。小学校2年生から本気で打ち込んできた野球を続けられる環境だったのが一番の理由でした。プロへの転向を目指して野球に没頭してきましたが、40歳を迎えたタイミングで引退を決意。「新しい環境でイチからスタートしたい」という思いもあり、転職を決めました。その時偶然見つけたのが髙木工業所の求人です。企業理念である「人を大切にするものづくり」の姿勢や、働く人たちの活き活きとした表情に惹かれたのを覚えています。

前職にはない自由度の高さが、
やりがいに。

入社後、まず驚いたのは職場での自由度の高さでした。前職ではあらゆることに厳格なルールがあり、逐一管理されていたからです。自動車の製造は時に命に関わる作業もある以上、ルールが必要なことは理解していましたが、一方で息苦しさを感じていたことも事実。その点、髙木工業所では自ら判断して動ける場面が多く、改善提案が反映されやすいのが魅力だと感じています。プレス作業は初めてだったので、最初は比較的単純な作業からスタートしましたが、今では機械の設定や工程の管理、外国籍スタッフの教育にも関われるように。伸び伸びと過ごせる職場で、自分らしく働けています。

国家公務員から民間へ。
残業が減り、おうち時間が充実。

新しい経験を求め、
刑務官から一般企業へ。

もともとは国家公務員である刑務官として刑務所で勤務していましたが、独自の規則や制限に従うことも多く、「もっと外の世界を知りたい」という思いから退職。その後はエンジニアの派遣会社で設計の仕事に携わり、大手自動車メーカーにも派遣されていました。しかしプロジェクトごとに職場が変わる働き方に限界を感じ、一つの場所で腰を据えて働ける職場を探すように。女性社員が多く、未経験も活躍しているという点に惹かれて、髙木工業所への入社を決めました。当時は資格も経験もなかったので、ものづくりの現場で働くことに不安はありましたが、新しいスキルを身につけたいという気持ちが勝り、今ここにいます。

手に職をつけて、心身ともに安定。

現在は12名ほどのグループのスケジュール管理を担当しています。製品によって使用する設備や作業時間が違うので、いかに効率よく作業を割り振るか工夫が必要です。材料の到着遅れや設備トラブルなどのイレギュラーも多いため、柔軟に対応する力が求められます。ですが現場の自由度は高く、「今日は定時で帰りたい」「1時間だけ残業したい」といった融通も効きやすいです。また前職と比べて残業が大幅に減ったので、帰宅してから手の込んだ料理にチャレンジするなど、プライベートも充実しています。体力的にも精神的にもゆとりを感じられる今の働き方に、とても満足しています。

転勤のない働き方で、
家庭を優先した生活に変化。

将来を見据え、
地元・岩手へUターン転職。

大学では経営を学んでいましたが、独学でコンピュータの知識を身につけ、卒業後は大手カメラメーカーで開発職として働いていました。仕事自体は好きでしたが、片道1時間半かかる満員電車での通勤や、東京・神奈川・福岡への頻繁な転勤が続いたことで、生活のバランスを取るのが難しいと感じるように。当時結婚を考えていたパートナーも岩手出身で、将来地元で暮らす未来を現実的に考え始めました。そんな中、地元の友人に紹介してもらったのが髙木工業所。本社は愛知ですが岩手にも工場がある会社で、「製造未経験でも挑戦できる」という環境に惹かれ、地元に戻る決意をしました。

家族との時間も、
仕事のやりがいも手に。

転職後は、通勤が片道15分に短縮されました。結婚して子どもが生まれましたが、保育園への送迎時間も確保できており、平日でも夕飯の準備をする時間的な余裕があります。また土日休みで家族と過ごす時間が増えたのも、転職して良かったことです。
今の仕事は、機械に使われる「金型」の修理とメンテナンス。金型の不具合があった際、原因究明から修理方法の選定まで行っています。時には一つの部品を直すために数週間かかることもありますが、機械がうまく稼働した瞬間の手応えは格別。今では若手の中心として後輩を導く立場にもなり、ここでキャリアを築いていけるやりがいを感じています。

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